友人が旅立った
友人のタケさんが旅立ってしまった
筋ジストロフィーと最後まで向き合った
三十代という若さで人生の幕を閉じた
何をおいても会いに行くべきだった
後悔している
彼がほんとうにやりたかったかこと,やり残したことはなんだったのだろう
今を生きることを,その意味を見失ってしまっている若い人たちに
傷つくことを極端に恐れ心閉ざす人達に
彼の何を伝えていけばいいのだろうか
途方にくれている
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
友人のタケさんが旅立ってしまった
筋ジストロフィーと最後まで向き合った
三十代という若さで人生の幕を閉じた
何をおいても会いに行くべきだった
後悔している
彼がほんとうにやりたかったかこと,やり残したことはなんだったのだろう
今を生きることを,その意味を見失ってしまっている若い人たちに
傷つくことを極端に恐れ心閉ざす人達に
彼の何を伝えていけばいいのだろうか
途方にくれている
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
卒業して1年半になるJ君が兵庫の勤務先から上京するということで,高田馬場駅で待ち合わせた.学生時代に私の研究室に時折顔を出してはいろいろなことを語り合った日々を今でも鮮明に覚えている.
お気に入りの「円らく高田馬場荘」(W大の学生I君から教えてもらった)で,ビールで乾杯しながらの一時を過ごした.
将来への不安はありながらも,今の仕事に対する情熱を熱く語ってくれた.
人の成長ぶりをみるのはいいものだなと素直に感じた.
この仕事を与えられたことを感謝した.
ブロードウェイ・ミュージカルのSwing を観劇した.6年ぶりに来日したSwingである.
1940年代の音楽に酔いしれた2時間
会場を見渡すと若者に交じって,年配のおじさん,おばさんが目立つ.
私もその中のひとり.それでも私はまだ若いほう.
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
青森に来ている
とても忙しく,動き回った一日である.
満ち足りた感がある一日であった.
患者さんのYさん,Sさん,お二人に出会えた事は,私を一挙に自分の原点に引き戻されました.
そんな時間を幸せだなと感じました.
また,若いスタッフ達を励ましながら,一方でエネルギーをもらったように感じる.
Oさん,素敵な時間とチャンスをいただき,心からありがとうを言います.
Bar 鬼や(青森市本町5-10-10 TEL 017-734-6893,定休日 日曜日)
広い空間,バックに流れるJazz,とても素敵でした.
また青森に来たいと思います.
- 誤った技術の使われ方に強い憤りと悲しみ -
2007 年 6 月 18 日深夜に放送された NNN ドキュメント「声の壁」を見て,美しい自然に恵まれた岐阜県中津川市での出来事にとても愕然とするものを覚えた.下咽頭ガンに冒され、声帯を失った市議会議員が議会での発言を代読で行えるよう議会に要望したが認められず,発言の機会を奪われているという内容の映像であった.
一部の議員を除く議会メンバーの多くは「親切にも」パソコンの音声合成出力機能による発言の方法を唯一の選択手段として当該議員に利用するように提案した.しかし,当該議員はパソコンの音声合成出力では人の肉声と異なり発言の真意が伝わりにくいと強く感じ,議会職員の肉声による代読を求め続けた.
かくいう筆者は,30 年間余りにわたり重度の障がいがある人々のコミュニケーション支援技術の研究開発やサービスに取り組んできた.たった 1 個のスイッチだけで,コンピュータの音声合成出力機能を使ってこれまで意思表現するなどがまったくできなかった人が,自分の気持ちをキカイを使ってでも表現できた時の目の表情がパッと明るく変化するのを幾度となく間近で見させていただき,この仕事を与えられたことに日頃から感謝している.
しかしである.筆者が常に忘れてはいけないとこころに決めていることがある.それは,何か具体的な目的を遂行しようとする際に,機器を使うか,その反対に人の助けを借りるか,あるいはその組み合わせで行うかを最終的に決めるのは,当事者自身であるということである.一見すると善意にも見える他者の押しつけが,当事者の生き方を外から強制してしまう.善意や平等性という名前を装ったイジメさえここにはあると感じ取れた.
海外も含め日本の支援技術者達がコツコツと培ってきた技術がこのような誤った使われ方をすることに,なおかつ市議会議員という公の立場にある人々の意識の低さに強い憤りと悲しみを覚えた.選挙の時だけ「福祉!福祉!」と本質が理解できていないまま叫び続ける人々の浅はかさに改めて強く失望した.
しかし,同じ岐阜県出身である筆者はあきらめていない.美しい自然に恵まれたこの地方で暮らす未来を担う若い人たちに.この出来事から多くのことを学んでほしい.代読を一切認めようとしなかった反面教師たちが君たちに絶好の「学ぶ機会」を与えてくれている.
いかにすばらしい技術が目の前にあろうと,一人一人が望む生き方や表現方法が決して奪われてはいけないことを.
通勤途中の列車待ちの一時
これまでとは異なるある変化に気付いた.
とても感動した.
新型車両側面の表示
終着駅名表示とともに次停車駅名が表示してあった.
列車利用では過去に苦い思い出がある
日々の暮らしの中で「分かり易さが」もっともっと増えるといいと感じた.

従来車両の行き先表示:終着駅名のみを表示

新型車両の行き先表示:終着駅名とともに次停車駅名が表示
※JR東日本 中央線 国分寺駅にて撮影
二期生の卒業式出席を終え、いま横浜へ向かう新幹線の中
とても満ち足りた心持ちです.
皆さんとこの大学で出会えたこと、私は本当に幸せ者だと感じています.
ちょっとおかしく思えるかも知れませんが,私は皆さんによって育てられたという気がしているのです.
これは本当の気持ちです.
皆さんは別れを心から惜しんでくださったけれど、どこにいようとも人と人のつながりはしっかりとこれからも続きます
Keep in touch!
ありがとう 心から

雲一つない富士山(撮影機材:携帯カメラ)
沖縄での4日間の滞在が終わり,東京・羽田へ向かう機上.
とても心に残る旅となった.
沖縄北部の名護市でのコミュニケーション関連の講演は,この地域では初めてということだが,百名以上の人々が参加し,遠くは沖縄南部から2時間余り時間をかけて来てくださった方もおられた.
この講演会をきっかけにAT(支援技術)研究会を立ち上げようという動きがあり,人々の熱い思いがジンジンと伝わってきた.ヤンバル発の新しい動きである.
小児科医であり名護療育園の施設長である泉川良範さん,数年前に東京からヤンバルに移住され会社を立ち上げた新開さんご夫婦,東京からエイドの説明に駆けつけてくださった大阪さん...心熱き人々との出会い
講演がはねた後の懇親会では,生まれてはじめて泡盛をいただいた.泡盛がこんなに美味しいものとはついぞ知らなかった.
沖縄の自然,からだに良いヘルシーな食,そして暖かいもてなし.
沖縄での4日間の旅は終わったが,ほんとの旅はこれから始まる.そんな気がした.
ヤンバル:山原,沖縄県,本島北部一帯の通称,ヤンバルクイナ...
小鳥たちの明るいさえずりで目が覚めた.
沖縄県・糸満の朝.
こんな朝の感覚を,ずーっと忘れてしまっていたような気がした.
ネットでふと見つけた糸満市郊外の「南の楽園」での朝.
おだやかで微笑みを絶やさないご夫婦,ヘルシーな沖縄料理,息子さんが朝釣ってきたという新鮮な魚,奥さんの手によるオリジナルな沖縄そばの味,何もかもが生まれて初めて出会ったような気がする.ここでは時間がゆっくりと流れる.
埼玉から1200CCのバイクで旅しているという大学2年生の青年の中に,昔,夢見ていた頃の自分を重ね合わせた.
昨日の飛行機は低気圧の影響かとても揺れた.沖縄はあいにくの雨模様,でも陸地に近付くにつれて,灰色の風景の中に,緑の濃淡が混ざり合った珊瑚礁がとても目に美しかった.
那覇空港に到着してレンタカーを借り糸満市へ.卒業したばかりの学生さんの顔を見に行くことにした.最初会った頃の,元気さと微笑み,穏やかな表情が戻っていて心から安心した.人一倍の頑張り屋で,時に頑張りすぎて動けなくなってしまうこともあったようだけれど,そこから先は「なんくるないさー」(沖縄の言葉で「なんとかなるさ」) 人生はまだまだ長い.楽しいこと,すばらしいことがいっぱい待っている.
その後,訪れたひめゆりの塔では,看護師を目指した若き人達がなんでこのような最後を迎えねばならなかったのか,とても強い憤りを感じた.
平和祈念公園では,10万人余りの民間人が犠牲にあったことを知り,今の日本が,この人々の犠牲で支えられていたことを肌で感じられた.
糸満の広々として穏やかな海に向かって建てられた墓標に刻まれた数え切れない人々の名前...この中には沖縄の人々だけではなく,アメリカ,イギリス,そしてアイルランドの人達のものもある.
戦争にどんな意味があったのか.戦争を始めてしまう人の愚かさをあらためて感じた.
平和祈念館のあるコーナーに次のような言葉が掲げてある. 強くこころに響いた.
戦争をおこすのは,たしかに人間です.
しかし,それ以上に戦争を許さない努力のできるのも,私たち人間ではないでしょうか.
あっという間の4年間が過ぎました.
卒業式の後の謝恩会では思わず涙がこみあげ,恥ずかしいけど気持ちがボロボロになりました.
4年前の入学式の後の,希望と不安に満ちたひとり一人の顔が浮かびます.
みんなそれぞれ大きく立派に成長されましたね.
学生達から感謝の言葉がかけられたが,ほんとうに感謝したいのは私のほう.
卒業する君たちひとりひとりに心から感謝の言葉を捧げます.
どうか患者さんや利用者さんの声に耳を傾ける素晴らしいセラピストを目指してください.
Follow your dreams!
三重県津市.130年の歴史を持つ伝統ある修成小学校でPTA主催の親と子どものための講演会が開かれ招かれた.伝統あるというととても固いイメージだが,決してそうではなく,昔の小学校のような懐かしさ,暖かさが感じられた.校長室にはいつも子供たちが訪ねてきて,漫画が得意な校長先生に絵を注文していく.校長先生は,次の週に子供たちに絵のプレゼントをする.とてもいいキャッチボールができていると,こころから感動した.ところで講演であるが,今日はこれまで以上に,ほんとうに緊張した一日でした.親御さんはともかく,果たして小学生に講演内容が伝わるのだろうか,合計3時間あまりの講演時間,果たしてじっと聴いていてくれるのだろうか.そっぽをむかれたりはしないのだろうか...始まるまでは不安だらけでした.しかし,案ずるより生むがやすし...とにかく無我夢中で3時間をこなしたという感じです.障がいとはまったく関係ないところいると感じている人々に,身近なテーマとして考えてほしい,少しでも障がいのある人の不便さや喜びを伝えられれば...
最後の質問の時間で,真っ先に明るい声で手をあげてくれたモモヨちゃん.目に障がいがある人の白杖について質問してくれたんだよね.ほんとうにありがとう.何事も疑問に思うことが,わかることへの糸口なんだよ.大学で講義をしていても手をあげられる勇気のある人は少ないんだ.
モモヨちゃんの何事にも好奇心を持ち,人前でも堂々と質問できる勇気を,これからもずっと持ち続けていってください.
05.02.13(日)
北海道の農業高校の生徒が生産したサラブレッド「ユメロマン」が,中央競馬のレースに出走し1着になったというニュースを朝のテレビ番組で耳にした.競馬にとくに関心がある訳ではない.最初は耳を疑ったが,スゴイことである.高校生だってプロフェッショナルに負けないだけのことを成し遂げられるのだ.
先日,都内で開かれたi-Cube 夢の病院プロジェクトが開催する「Your Experience」に招かれて講演した.医療保健福祉系大学・専門学校に在籍する学生が学校間を超えて出会い,交流し,未来の医療について考えや意見を交換することで広い視点を持つことを目的にした集まりである.
講演中でも質問はいつでもオーケーと告げた途端,いくつかの質問が飛び出すほど熱意がみなぎる集まりであった.熱いものを感じた.さらに驚いたのは参加者の多くがまだ1年生や2年生であった.
講演後は,学生主導で私の講演内容を題材に即興のパネルディスカッションが開かれた.いつも以上に緊張するものを感じた.
ある学生は自らを「まだ青い」と表現していたが,「青い」ことほど素晴らしいことはないように思う.私も含めて教員・専門家,とくにすでに「出来上がってしまった人」より,よっぽど彼女ら・彼らの方が真剣で情熱があり,まともな感じすらする.「青い」ということがどれだけ貴重なことなのか.ふと,彼女ら・彼らにぴったりの言葉を思いだした.「ハングリー」...
故・加藤一郎先生(早稲田大学教授,ロボット研究の第一人者)がある時,私に話してくださった言葉がある.「ハングリーでないと,本当にいい仕事はできないんだよ」.
i-Cubeのサイト: http://icube.umin.jp/
05.02.01(火)
2度目の山形への旅の帰り道
いま帰りの列車の中 窓の外はあたり一面の雪景色
2日間の駆け抜けた時間の流れを,いま,ゆったりとした時間の中で振り返る
何よりもそこで出会った人々との思い出が幸せな気持ちにさせてくれる
こんな自分でも何か意味があるということを教えてくださった人々に
ありがとうございましたとこころから伝えたい.
04.12.19(日)
岡山から高知へ
山間をコトコトと走り抜ける列車
トンネルの入り口では落ち葉が生きもののように風に舞っている
ハルクの動く城の曲に耳を傾けながら
宮崎駿監督の世界にどんどん引き込まれていく
高知では多くの熱い志に圧倒された 心からうれしかった
ここは坂本龍馬の生まれた地
翌朝,バスに揺られてひとり桂浜へ
海はどこまでも明るく,藍色で目の前にひろがっている
そこに,龍馬は今もひとり立ち海を見つめていた
この地の人々が今も龍馬を愛している理由がわかるような気がした
04.09.29 (水)
窓の外は風雨が強くなってきて,ガタガタと窓を鳴らしている.台風がこの地方に近づいて来ているようだ.私はパソコンに向かいながら,提出期限の過ぎた原稿と悪戦苦闘している.筆が進まない.書けない.いつものことだが,安請け合いして受けた原稿.後で後悔している自分がいる.
研究室のドアがノックされた.「どうぞ」と声をかけると5名ほどの学生がどやどやと入ってきた.授業と授業の間に空いたコマがあり,外ははげしい雨が降っている,行くところもなく,結局,私の研究室を訪ねてくれたようだ.
「なんだ,雨宿りか」私は少しばかり学生達に皮肉を言いながら席を勧めた.「ああこれでまた原稿が遅れてしまう」心の中で私は嘆いていた.
研究室には一見するとがらくたに見えるようなものが様々ころがっている.「これ 何ですか」「どうやって動かすんですか」「どんな場面で使うんですか」学生達の遠慮の無い矢継ぎ早に出される質問に私は一つ一つ答えながら,「ああたいへんだ」と感じながら,一方で,そんな学生達とのやりとりを愉しんでいる自分を感じた.学生達の新鮮な好奇心がそう感じさせたのだろう.
小一時間して学生達は「失礼します」と次の授業に向かっていった.
窓は相変わらずガタガタと音を鳴らしている.一人残った私には静かな時間が戻ってきた.
パソコンに向かうと,あの一向に書けなかった原稿も書けそうな気分である.
どうやら私も雨宿りしたのかも知れない.学生達に感謝.
04.09.07 (火)
単身赴任の生活を始めて3年目である.私の食生活の大部分は近くのコンビニ(セブン○△□◇)に全面的に頼っている.赴任直後は自炊生活にチャレンジしようとしたものの3日と続かなかった.配偶者から言わせると,外では「障がいのある人の自立生活とは...」と偉そうに講演したりしているが,「自立できていないのは当の本人」ということだ.まったくそのとおりで弁解の余地が無い.おはずかしい.穴があったら入りたい.1週間に少なくとも3日程度はここに顔を出すため,店長(オーナー)と知り合いになった.昔の商店では客の名前を覚えられるのは一般的であったが,最近のお店,とくにファーストフードやコンビニで名前を覚えられることを期待する方がおかしい.しかし,このお店の店長はちょっと変わっている.お客ととてもフレンドリーなのだ.大学の近くにあることもあるが,店へくる学生の相談相手にもなっている.
配偶者からはコンビニ弁当ばかりではからだに悪いからたまにはヒジキや野菜なども食べなければいけない,最近のコンビニにはあるかもよ,と言われた.お総菜が置いてありそうなコーナーを物色していると,店長に声をかけられた.配偶者が言っていたことを話すと,からだに良さそうなものがあれば次回入れておきますからと.一週間後には,新しい野菜のメニューが増えて,私の食生活に彩りを添えるようになった.この頃からだろうか,店長といろいろと話すようになったのは.
実は以前から不便というよりも悔しい思いを感じていたことがある.透明なサラダのパッケージの蓋を開けようとして,いつもとまどってしまうのである.容器の本体と上蓋を固定している透明の接着テープが見えないのである.サラダの上蓋を開けるたびにメガネ(老眼)をかけなければならない.それが面倒で,メガネをかけずテープをはがそうとして,サラダを床にぶちまけてしまったことが何度かある.
ある時,その腹立たしさを感じながら店長に思いを伝えた,透明ではなく着色されたテープにできないのかと.店長からは,店長会議で提案します.改善できるように努力しますとの返答をもらった.それから1ヶ月が経ち,さらに月日が経ち.目が合うたびに店長は申し訳なさそうに「実現できていなくてすみません」の言葉が.私は申し訳なさそうに謝る店長を「1,2年かかってでもいいから」と励ましながら,心の中では「一顧客の意見が,大企業の中でそんなに簡単に通ることは難しいだろうな」とつぶやいていた.そして,さらに月日が経ち,私の中ではこのことへの問題意識すら薄れかけていった.
そして今日,赴任先へ戻り数週間ぶりにコンビニに顔を出すと,私の顔を見るなり店長が嬉しそうな顔をして手招きする.何だろうと近寄っていくと.「これ見て下さい」とサラダのパッケージを私の目の前に差し出した.そこには,メガネをかけていない私の目にもしっかりと見えるテープが貼り付けてあった.
「やったね店長,おめでとう.ほんとうにありがとう」 ほかのお客さんのことは忘れてしまい,思わず大きな声を出して,店長と一緒に喜んでしまった.
ひとりひとりの客の声に耳を傾け,何事も最後まであきらめず取り組むこの店長に尊敬の念をいだいた.小さな一歩でも,こうやって世の中を変えていくことができるんだということを教えられたような気がした.このことを世の中のことを見失ってしまいがちな学生達にも伝えていきたい.

(パッケージの左右に半透明のブルーの接着テープがある.視認性はとても良い)
04.08.23(金)
青森の十和田湖,奥入瀬(おいらせ)へ旅した.奥入瀬では石ヶ戸渓流から銚子大滝までを数時間かけて上流に向かって歩いた.損傷している左膝が心配だったが休み休みなんとか歩いた.澄んだ渓流の水と鮮やかな緑に色付いた木々の間からこぼれる陽の光がとても印象的だった.谷地(やち)温泉,ここは400年前から続く湯治場だそうだ.地元の人と一緒に湯に浸かりながらのんびりとした時間が持てた.「また来て下さいよ」と言って下さった七戸の斎下さん,きっと訪ねます.ありがとうございました.
04.8.19 (木)
知人の重川洋一さんから転送されたメッセージです.ぜひ読んでいただきたいと思いアップします.(転載許可を得ました)
----------------------------------
あるエッセイ 人の気持ちを「察する」ことの大切さ
重川@松前町 です。
私の属するメーリングリストに、長野県・佐久総合病院の高山先生という方のエッセイが流れていました。転送自由ということなので、お送りします。お時間のあるときに、読んでみて下さい。
==================================
福岡市の臨海地区にある総合病院。周囲の繁華街はクリスマス商戦の真っ只中でしたが、病院玄関には、大陸からの冷たい寒気が潮風となって吹き込んでいたと思います。
そんな夕暮れどき、心肺停止状態の老人を乗せた救急車が、ERに到着しました。
老人は86歳。確認すると瞳孔は完全に散大し、医学的には死亡確認できる状態となっていました。茶色く朽ちたような身体にパリッと糊の利いた白いシャツが印象的でした。
一緒に救急車に乗ってきた80歳の妻の話では、その老人は自宅の居間でテレビを観ていたはずだが、妻が買い物から帰ってきたときには息をしていなかった、とのことでした。
おそらく心臓発作を起こされたのでしょう。また、長らく肺気腫を患っていたようで、まあ、老衰による死と受けとめてもよい状態でした。さて、僕は救急当直だったので、救急部医長の指示のもと、心臓マッサージを開始しました。しかし、これは患者の妻が死を受け入れるまでのデモンストレーションでもありました。
そこにいる医療スタッフの誰もが、妻が心臓マッサージについて「もう結構です。ありがとうございました」と言うのを待っていたのです。救急の現場ではよくある光景でした。
しかし、その腰は折れ、何かに捉まっていなければ立ってすらいられないような妻が5分後に下した判断は、経験の長い救急部医長に言わせても初めてのことだったとのことです。
妻は心臓マッサージをしている僕のそばに、よろよろと歩いてきてこう言ったのです。
「あの〜 すいまっせん。あたしにやらせてはもらえんとでしょうか。すいまっせん。お願いします。教えてください」
僕は、あっけにとられて、医長をふりかえりました。医長もびっくりした顔をしていましたが、一言、「教えてさしあげなさい」と僕に指示しました。
看護婦が、背の低い老婆のために、急いで足台を持ってきました。台に登った老婆に、僕は手の置き場所と、力加減とタイミングを手短に教えると、「よ〜わかりました。これで良かですか?」と言って、弱々しくはあるけれども正確なタイミングで心臓マッサージを開始したのです。僕が小さく頷き、「お上手ですよ。それで結構ですと言うと、老婆は満足そうに、なんと微笑みすらこぼして、夫に語りかけはじめたのです。
「お父さん。あんたは、な〜んも自分のことができんかったけん、あたしがずっと一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんといかんごとなって、情けなか人やねぇ でもね、あたしは幸せやった。楽しかった。覚えとるね、姪浜であんたが喧嘩したときのこと・・・」
心臓マッサージを続けながら、夫に訥々(とつとつ)と語りだした老婆に、救急部のスタッフたちは、呆然としました。いったい何がはじまったのかと、他の仕事をしていた看護婦たちも集まってきたほどです。
しかし、医長は片手を振って、スタッフたち全員に病室を出ろと合図しました。アンビューバッグを押していた看護婦もその場を外されました。僕も老婆の後ろであっけにとられていましたが、はたと気がついて、急いで外に出ました。こうして、病室は妻と真の意味で死を迎えつつある夫だけとなったのでした。
それから10分ぐらいが経過したでしょうか。病室のドアが開き、妻が出てきました。そして、救急部のスタッフたち全員に繰り返し深々と頭を下げて、老婆は言いました。
「御迷惑をおかけしました。もう結構です」
老婆の目には、涙のあとが残されてはいましたが、しかし満足そうな微笑みを浮かべていました。おそらく、たった今、逝ったばかりの老人もそうに違いないと、あのとき僕は思いました。
< Youichi記>
夫婦だけの物語の時間と場を配慮した医長の「察し」には、尊敬の念を抱かずにはいられません。
= = = = =
重川 洋一
< CXM01374@nifty.ne.jp>
http://homepage2.nifty.com/shigekawa/
04.08.15(日)
先日開催されたマジカルトイボックスで講演している時である.前の方で聴講している女性の方がじっとこちらを見ながら私の話に何度も頷いてくださっているのにとても勇気付けられた.講演などしていてこれほど嬉しい反応はない.これとは反対に大きなあくびをされたり,うつらうつら居眠りを始められたりされるととても悲しい.というよりも,自分の話しの退屈さを責めるよりも腹立たしさみたいなことを感じてしまう未熟な自分がある.
2年前ぐらいであろうか,大学の授業中に教室の後ろの方で大きなあくびをした学生がいた.実は,学生が想像する以上に教室の後ろの方までよく見通すことができるのである.授業が終わってその学生に「大きなあくびをしていただろう」とぶつけてしまった.後日,私は配偶者からこっぴどく叱られた.「あくびはね,自分を目覚めさせようとしてその人が努力している行動の現れなのだから,それを注意するあなたが間違っている」と.それからは講演中のあくびを見かけても,ああこの人も頑張っているのだなと考えるようにしている.
話しはもとに戻るが,マジカルで頷いて聞いてくださっていた女性.どこかでお会いしたことがあると思っていたら,講演終了後に駆け寄ってきてくださり,「お地蔵さんの,...あの時の子どもの母親です」と言われて,私の中で数年前の記憶が鮮やかに蘇った.
京都で開かれたカンファレンスの夜の懇親会で,重度の脳性まひの障がいがあるお子さんを取り囲んで話しが盛り上がっていた.私も誘われてその輪に入れていただいた.すると中心にいたお子さんが私の方を見ながら,なにやら必死にしゃべりはじめた.うまく聴き取ることができず,文字盤を取り出して読み取ることになった.「きょうとのまちへでかけた」「みちばたにおじぞうさんがたっていた」 ここまで聞くと,まわりの人々からは「カンファレンスを抜け出して京都の街へでかけたんだね」「道端にお地蔵さんが立っていたんだね」「若いのにお地蔵さんに興味があるんだ.すごいね.」まわりの人々はその話を受けてさらに盛り上がった.しかし,当の本人は「ちがう,ちがう」と必死にうったえかけているのが感じ取れた.そこで文字盤をもう一度最初から読み取り直すことになった.彼が言いたかったことを要約すれば「京都の街へでかけたところ,道端にお地蔵さんが立っていた.そのお地蔵さんの顔がこの人に似ていた!」その人とは私のことであった.自分の思いがちゃんと伝わって,彼からは笑みがこぼれた.
まわりの人々は大爆笑である.「ほんと,畠山さんの顔,お地蔵さんに似ているわ」と.正直,もうすこし別の素敵な何かに似ていると言われたかった.でも一方で,感じたことをこんなにも素直に表現できる彼の素晴らしさに感動を覚えた.と同時に,文字盤使用につきまとう「先読み」の問題がこんな場面でも存在することにあらためて気付き,気を付けねばと肝に銘じた.船澤和秀君,ありがとう.

04.08.1(日)
半年あまりこの日記を書いていなかったことに気が付いた.そのくらいこの4ヶ月余りは苦しい日々が続いた.とにもかくにも前期の授業をこなすのに精一杯だった.従来科目の4科目に新たに加わった「バリアフリー環境論」「人間中心デザイン論」.個人的にとても興味があるテーマではあるものの,いざ大学で学生さん達に教えるテーマになるととても重圧がのしかかった.しかし苦しんだ分だけ,自分にとっての学びがたくさんあったように感じる.教えながら,実は学ぶ...ここまで到達できたのも,受講してくれた学生達の励ましがあったからこそと心から感謝している.ほんとうにありがとう.
04.02.29(日)
いい旅だった.山形での3日間の集中講義.はじめて訪れた山形に感動した.学生達の素朴な眼差し,教員の方々のハートウォーミングな対応,お昼にご馳走になった冷たくした肉そばの忘れられない味,温泉宿での夕食後,ひとりでそぞろ歩いた武家屋敷あたり,なにもかもが新鮮に心に響く.山形に住みたいとふと感じた.(配偶者の「また病気が始まった」の声が聞こえる)
心から,ありがとうございました.また,おじゃまします.
04.02.25(火)
今日は胃カメラを飲んだ.2度目だから大丈夫かと思ったが,はじめての時より辛かった.何度もウッとなって途中で投げ出したくなった.気が付くと,看護婦さんが背中をさすってくださっていた.その指先から伝わる安心感のようなものが気持ちとからだを徐々にリラックスさせてくれた.言葉にならないコミュニケーション.とてもありがたかった.
04.02.21(土)
出口を求めて泳ぎ続ける(本当はカナヅチで泳げないのに).やっとのことで水面に顔を出して「フゥ」,大きく息を継いだ.助かったという安堵の気持ちと同時に何とも言えない感動があった.真夜中のことである.そんな夢を,一晩に二度立て続けに見た.気が付くと自分の布団の中であった.いま話題の「睡眠時無呼吸症」かも知れないと程なくして思った.
この歳になって,いろいろとやっかいな支障を抱え込んでいる.無呼吸症,花粉症(これは20年以上前から),細かい字が読めない(いわゆる老眼),近視,乱視,左膝の半月板損傷(これからは走れないと宣告された.大切にしていた山登りもできない),来週は胃カメラ検査,...あげだしたらきりがない.からだはボロボロ,いいところを見つけようとしても何もみつからない.
こんな自分でもできることがあれば,必要としてくれる人がいれば出かけていく.気持ちだけは明るく,これから佐賀へ行ってきます.
04.02.18(水)
私は著作や講演の中で「こころ」という言葉は,極力避けてきた,というより,使えない自分を感じている.「こころ」という言葉を口に出すことにわたし自身とても抵抗感があり気恥ずかしいものを感じてしまう.しかし一方では,利用者への思いやりにかけるのではないかと思われる取り組みにしばしば出会う.先日こんな場面があった.初めての臨床実習を終えた学生たちの報告会があった.学生から「心を動かされた」「患者さんとの間での心のつながりがとても大切だと感じた」などさまざまな「心」の報告があった.これにたいしてある教員からは,「心というような抽象的な言葉ばかりが目に付いた.知識の伴わない患者さんとの関わりはホンモノではない」というようなコメントが発せられた.その一言で,学生たちのこころは萎縮してしまったように見えた.
この人が言うとおりかも知れない.「心」という言葉は確かに「やさしい」印象は持っているが,それ以上の深さを感じられないことも少なくない.私が「心」や「人生」という言葉を使うことができないのも,自分への自信の無さから来ているような気がする.知識をしっかりと身につけた上で心を育む.とても真っ当な考えである.
しかし,本当にすべてがそのとおりと断言できるだろうか?自分を振り返ってみると,人との出会いがあり,その人の生き方や考え方に触れることで,こころを強く動かされたということが少なくない.その人ともっと密接に関わり合いたいと感じ,それが引き金になって猛勉強した記憶がある.
心の動かないところには本当の生きた学びは生まれないのではないか,といま思う.
教育場面に目をやると...学んでいる向こう側に,この知識は誰が必要としているものなのか.なぜ知っておかなければならないのかが置き去りにされたまま,ただひたすら知識の伝達が行われていることが多いように感じてしまう.
知識や技術の習得が先か,こころの教育が先なのか.考えてみれば,どちらが先でもいいことのように思う.
しっかりとした知識や技術を伝えながら,一方で,こころに感動を呼び覚ます機会に学生自身が出会えるように心がける,そんなバランスが大切.どちらか一方が欠けてもいけない.
患者さんとの間で, こころのつながりを感じ取ってきた学生たちに,こころから声援を送りたい.学生達はちゃんと分かっている.ここからが本当のスタートだということを.
03.11.30(日)
研究所に勤めるIさんから嬉しいメールをもらいました.
『Iです。今日、教育相談でとてもうれしいニュースを聞きました。MYさん(現K養護学校)を覚えていらっしゃるでしょうか。
アテトーゼの緊張がとても強い方で、プロレスごっこが大変お好きな方です。私が研究所の教育相談で6年ほどお付き合いしている方なのですが、Yさんのお母さんのお話によれば、Yさんが小学部の頃に、横浜のリハセンターで畠山さんやスタッフの方にスイッチを使った遊びを試みていただいたことがありました。
そのころ、Yさんはおもちゃよりも、それを介してのお母さんの返事がおもしろくてスイッチを使っていたそうです(今でも人を動かす方が好きです)。Yさんのお兄さんも一緒にリハセンターにくっついて行かれ、スイッチで楽しく遊ぶYさんをみたのがきっかけになったようで、畠山さんのようなリハ工学技師になって将来障害者の支援機器を作りたいという夢を持たれたそうです。
昨年度はボランティアに忙しく、残念ながら受験に失敗し一浪していましたが、この度AO試験でM大学の機械工学科にめでたく合格したとのことです。AO試験では、ボランティア体験や、自分の弟の生活、支援機器開発への思いを熱く語り、畠山さんの後を追いかけるんだとはりきっているそうです。教育相談などの場で、しばしばご兄弟が一緒にいらっしゃることがありますが、兄弟にとっても将来の夢を持つ出会いがあるんですね。自分たちの後を引き継ぐ人が、そうした場でもつながっていくんだと思い、ご連絡しました。 』
嬉しい気持ちととても気恥ずかしい思いがごちゃ混ぜというのが正直なところです.これまでいろいろな人と関わり,確かにその時できるサービスを精一杯してきたつもりですが,振り返ってみるとほんとうにその時にちゃんと対応できていたのだろうか,利用者の人に冷たくしなかっただろうかと不安になることがあります.本当に自信がない...
人に関わる,そして長い年月が経ち,また巡り会う.一見,人を支える仕事のようだけれど,実は今の自分は出会った一人ひとりの人に支えられているのだということをつくづく感じる今日この頃です.お兄ちゃん,合格おめでとう.いつの日か出会えることを (^_^)ノ
03.11.04(火)
新横浜,新幹線ホームで列車を待っていると,想像だにできなかった人物を乗せた列車がすべりこんできて,ちょうど私の前に停まった.窓の中の向こう側の席に見える横顔は,第14世ダライ・ラマ法王であった.まさかこんなところでお顔を拝見できるとは.夢を見ているような気分であった.後でインターネットで調べてわかったのだが,伊勢神宮で参拝され,そして奈良へ向かう往路とのことであった.
第14世ダライ・ラマ法王のことばに「心の持ち方を変えれば苦しみを減らすことができる.これは人間に与えられた優れた能力だ」を何かで目にしたことがある.第14世ダライ・ラマ法王の横顔がこのことばを私の記憶にふと蘇らせた.いい1日にしたい.
03.07.07(月)
自宅からJR横浜線の駅まで徒歩で向かう.少し前を2,3歳ぐらいの女の子と母親が歩いている.女の子は少し歩いては歩みをとめ,道ばたに生えている草花に見入っている.母親はそれを嬉しそうに見つめる.それを繰り返しながら,親子はゆっくりと歩みを進める.ゆったりとした時間が流れている.どこかで見た情景のような気がする.
想い出した. 娘がやはり2,3歳ぐらいの頃.娘は散歩に行くときは近所のオジサンやオバサンだけではなく,そのへんに転がっている石ころや道ばたに咲いている花にまでいちいち挨拶するようになった.私が冗談半分で教え込んだことなのだが.まさかほんとうにそれを実行するようになるとは思ってもいなかった.しばらくそんな時期が続いていた.その時の娘の目にはどんな世界がひろがっていたのだろう.
話は変わるが,私は学生時代に肉体労働のバイトをした.ひ弱な私の将来を案じて,私の父親は大学の休みに工事現場で働く人々が寝泊まりする飯場(はんば)に私を送り込んだ.父の仕事の関係の知り合いが取り仕切る飯場である.そこで寝泊まりしている人たちは長崎県壱岐対馬からの出稼ぎの人たちが大半であった.世間知らずでほとんど役立たずの私を家族の一員のように暖かく受け入れてくださった.でもそこでの仕事は私にはきつかった.雨の中で合羽を着ての深夜のコンクリート打ち,苦手なネコ(一輪車)によるセメント袋の運搬作業など,様々な仕事を必死になって覚えた.そこで働く人たちは,1時間ほど仕事をすると「一服(いっぷく)」といって短い休息時間をとる.私もくたくたに疲れたからだを休めるために地べたに腰を下ろす.からだが少しずつ回復してくると,目の前の世界が徐々に見えてくる.それまで自分が見てきた世界とはまったくちがった世界が目の前にひろがっていることに気が付く.地べたすれすれに見える世界は,何もかもが新鮮だった.地べたから伝わってくる感触は今でもからだのどこかが覚えている.時にはすぐそばを歩いていく人達の見下ろすような視線が感じとれた.でもその一服の時間は至福の一時であった.
あれから月日が経ち,あの時見た世界や味わった感覚をすっかり忘れてしまっていた.目の前の親子の様子を見ながら,娘が小さかった頃の情景や学生時代の自分が見た世界に逆戻しされたような感覚があった.
時には,普段とは異なる目線で何かを見つめてみたいと,そう思った.
03.07.04(金)
今日は暑い一日になりそうである.駅で電車を待つのどかなひととき.ふと心地よい風の流れを感じた.忘れていたような感覚... 時間に追われてそんな感覚はどこかにしまい込んでいたのかも知れない,
学生達に出会うと,いつもいつも試験やレポートに追われて皆一様に疲れ切っている.でも,ほんのわずかな時間でいいから,ひとにりなれる時間を持ち,心のどこかで身の回りのちょっとしたできごとに「いいな」と感じられる人であってほしいと思う.
03.06.18(水)
研究室を訪ねてくれた学生のM君.いい色に日焼けしたおだやかな表情の中に満面の笑みがあった.参加者60名あまりが参加して行われた蒲郡オレンジトライアスロン学生の部でみごと準優勝したことをわざわざ報告しに訪ねてくれた.スポーツにはほとんど無縁の私であるが,このときばかりは彼の栄誉を心から讃えた.次はインカレに招待されており,今はそれが目標であり,それに向かって準備をしたいとのこと.彼の静かではあるがその語り口に充実感が漲っていた.1年の時は将来の進路のことで迷っていた時期もあったが,今は人間として着実に成長しつつあることが伝わってきた.今の仕事に就いて本当に良かったなと感じさせてくれた一日であった.
03.06.07(土)
私が尊敬する仕事仲間・繁成剛(しげなり つよし)さんから依頼を受けて講演にでかけた.姫路駅からJR播但(ばんたん)線に乗り換え,各駅停車に揺られて数十分.その山間(やまあい)に彼が勤める大学がある.播但線は今時珍しい(?)単線で,駅ごとに列車がすれ違うために待ち合わせをする.沿線には中学や高校があるようで,それにオジサン,おばさん,子どもからお年寄りまで混じって車内はとても明るくにぎやか.そんな列車にゴトゴト揺られていると,遠い昔にタイムスリップしたようなそんな気分になる.
講演には養護学校の教員の方々,施設にお勤めの生活指導員の方々,地元企業の方々,障害のあるお子さんとそのご家族の方々,その他多くの方々が参加され,熱心に聴講して下さった.学生さんも30名ほどアシスタントとして参加されていたが,皆とても明るくいい表情をしていた.それは紛れもなく,繁成さんの暖かい人柄と彼の仕事にたいする情熱が学生さん達にしっかりと伝わっているのだということがジンジンと伝わってきた.それからもう一つ,この大学を包み込むようにしている豊かな自然が紡ぎだしているせいもあるかも知れないとふと思った.緑豊かな山間には陽光と青空があり,そして気持ちの良い風が流れていた.
03.06.10(火)
今,単身赴任先の愛知へ向かう新幹線の車中である.車窓から外をぼーっと眺めながら約1年前のことを思い出した.二度と味わいたくない苦い経験である.
その日はちょうど長野県上田市での会議を終え,ながの新幹線で東京へ.いつもなら京浜東北線の各駅停車で横浜の自宅へ向かうのだが,少し疲れたので新幹線で帰ることにした.ホームでは発車ベルが鳴っている.ちょうど居合わせた新幹線に迷わず飛び乗った.列車は程なくして静かに滑り始めた.自由席はすでに満席であった.出口付近の通路に立つことにした.どうせ15分ほど乗れば降車駅の新横浜に着く.車窓からは東京のビルの窓の明かりが川のように美しく流れている.しばらくすると天井のスピーカから車掌さんのアナウンスが,「停車駅をお知らせします.つぎは名古屋...」.最初はアナウンスの意味がよく理解できずにただ聞き流していたのだが,徐々に事態のたいへんさが理解できた,私は思わず「降ります!」と叫んでいた.でも声にはならなかった.とにかく配偶者に電話しなければということで携帯電話をかけた.電話の向こうでは「何やってるの.すぐ帰って来なさい」の暖かい言葉.配偶者にも私がおかれている状況が読めていなかったのだろう.どうしていいのかあたふたとしていると,ちょうど目のすぐ前の壁面には非常停止ボタンがあった,私は思わずボタンに手をのばしそうになった.しかし,かろうじて手が止まった.そのままボタンを押していたら,翌日の朝刊に「大学教員,新幹線を停める」の大見出しが.今から思うと身が縮む思いである.
新幹線の非常停止ボタンを押して列車を止め,ホームを脱兎のごとく駆けていったという「困った人」のことをテレビや新聞で何度か目や耳にしたことがある.なんて困った人なんだと人ごとのように笑っていたが,今になって思うとその人のその時の気持ちがよくわかるような気がする.
私たちの周辺には新幹線に限らずいたるところで様々なテクノロジーがあふれている.私たちは否応なくその中で生活していかなければならない.でもそれらは,人にやさしいとはとうてい思えないシステムが氾濫しているように思う.自分をかばうわけではないが,ひとの過ちを許さない世界ができあがってしまっているような気がしてならない.その背景には自己責任という言葉だけが横たわっている.なんとかならないものか.ひとたび過ちを起こすとたいへんなことになるような場面では,二重,三重のチェックが必要である.例えば,空港で飛行機に乗るときのように,ゲートの自動改札機と空港スタッフによるダブルチェックのようなシステムが必要である.将来的には,列車の乗降口に電子的なゲートを設置し,電子切符との照合を行うシステムが考えられるであろうが,そこまでいかなくともすぐ思い浮かぶアイデアとしては,乗車口に一目でわかるように次の停車駅を表示する,大きめの数字を表示する,あるいは図形や記号の簡単な組み合わせを示し,乗車する人自身で切符と照合しやすくするなども一考の余地がある.間違いの起きにくいシステム作りに多くの人のアイデアを募れば必ずや人にやさしいシステムが見えてくるであろう.
結局,その日は午後7時頃には横浜の自宅に帰り着く予定が,新横浜ー名古屋間を往復し,横浜の家にたどり着いたのは午後11時近くになっていた.唯一救いであったのは,新幹線の車掌さんが「あまりに気の毒」といって,片道の料金で許してくださったことである.人の優しさが心にしみた.
03.06.08(日)
自分自身のために始めた日記だが,意外にも学生が読んでいて,何人かの学生から「見ましたよ 」「次を楽しみにしています」とメールをもらったり声をかけられたりする.最近,この「見ましたよ」ということばにとても緊張を覚えてしまう.単身赴任の身,近くの大型スーパーマーケットでレジに向かおうとすると,そこには入学したばかりの新1年生がいる.思わず後ずさりし他のレジへ向かう.本屋さん,お寿司屋さん,電気屋さん,オモチャ屋さんなど,いたるところで学生のバイト姿を見かけてしまう.
コンビニでバイトしている学生には私のその日の夕食の中身をすべて知られてしまっていると思うととても気恥ずかしく,声をかけられると思わずドキッとしてしまう日々が続きます.
03.06.07(土)
将来の進路を真剣に考え大学経営学専攻から作業療法士を目指す専門学校に入り直した学生からメールをもらった.4月からの新生活が始まりあっという間に2ヶ月が過ぎ,今,心にぽっかりと穴が空いてしまっているという. そんな感じは君だけではありません.正直に言いますが,私にもそんな時期がありましたし,今でも時折そんな感じになります.私のホームページを見て,少し元気が出たとも書いてあった.なんだかこちらが救われたような気持ちになりました.ありがとう.
自分にどうしようもなく自信がなくなったり,何もかもいやになったら,小休止するのがいい.そして心を許して話せる友に自分を語ればいい.けっして自分ひとりで抱え込まないこと.ジャズシンガー 綾戸千絵さんのCDを聞くことも忘れないように.ジワジワと元気が生まれます. 諏訪中央病院・元院長・鎌田実さんの「がんばらない」私はこの言葉がとても好きです. 相田みつをさんの「つまずいたっていいじゃないか,人間だもの」 この言葉に励まされながら日々生活している私です.
元気出して 一緒に歩こ.
03.05.18(日)
久しぶりの日記である.2年生前期の授業が一段落して少しだけほっとした.毎回の授業がまさに自転車操業状態.ペダルを回すのをやめたとたん倒れてしまいそう.自分の授業に自信が持てない,まったくの余裕がない.ほんとうにこれでいいのだろうか.でも学生達の反応に勇気づけられて何とかこなすことができた.昨日から2日間かけて学生ひとりひとりのレポートを丹念に見る.自分が感じていた以上に,伝えたこと以上に,学生は多くのことを感じとり,考えていてくれることをつぶさに感じ取ることができた.それが何よりもすばらしく感じる.
ふと気が付くと,開け放った窓から 気持ちよい風が流れ込んできた.久しぶりに歩いてみよう.ここ東海市は鉄の町と言われ,とてつもなく大きな製鉄工場がある.しかし一方で,公園の町と呼ばれ,市のあちらこちらに素敵な公園があり,市の中心部には大池公園がある.大きな池の周りを2キロ弱の遊歩道があり,若い人からお年寄りまで多くの人が散歩したり,ジョギングしたりしている.久しぶりのジョギングに息は切れ切れであったが,ひとしきり走った後,空を見上げると,深く茂った木々の葉の間から漏れる日の光が,流れる風がとても新鮮だった.携帯や時計も持たずひとり思うがままに歩いていると,普段は目にとまることもないことがらの中に,とても多くの発見がある.いつか,学生達を連れ出し,野外での授業もいいな,とふと思った.
03.04.05(金)
学生たちの元気な声や明るい笑顔が大学に戻ってきた. それにつられて私にも元気が戻ってきた. 晴れて2年生に進級した学生たちに混じって,進級できなかった学生が何人かいる.みんないい学生たちばかりである.中には自分だけが取り残されてしまったような気持ちでいっぱいの人がいるかも知れない.もしそんな人がいたら,ぜひ耳を傾けてほしい.
私自身,これまでの人生は回り道の連続.幾度となく足踏みをしたり,立ち止まったり,時には逆戻りをしたり.これからもきっと同じと思う.その過程でいろんな人との出会いがあり,多くのことを学び,自分に拡がりを与えられたような気がする.
自信を持って,一歩ずつ歩みを進めていってほしい.これからもいろんな試練が待っていると思う,でもそんな時,授業の中で話した4つの「あ」を思い出してほしい.「あたまにこない,あせらない,あてにしない,あきらめない」(私自身がある人からいただいたことばである).いつかきっとこの「回り道」がとても意味のあるものだったと思える日がくる.かならず.
03.03.13(木)
新学期まであと半月余り.その準備に向けて,急にあわただしくなってきた.過ぎてしまえば,あっという間の1年であった.無我夢中になって走り続けた1年であった.新学期には,この1年で大きく成長した新2年生とホヤホヤの新1年生に出会える.期待感と緊張感が入り交じる今日この頃.
03.03.07(金)
セコム創業者の飯田亮さん(NHKプロジェクトXに登場)と間近でお目にかかる機会を得た.握手をお願いすると,気軽に応えてくださった.大きくて暖かい手が印象的であった.
03.03.03(月)
赴任先の愛知へ向かう新幹線の車中,生憎の曇り空.豊橋駅を過ぎたあたり,向こうの方に三河の海が見えた.こうして朝に赴任先に向かうのは元気が出る.陽の光が気持ちを後押ししてくれているような気がする.元気な学生の顔に出会うこともできる.反対に,夕方や夜に赴任先に向かうのは気が重たい.朝に家を出て,夕方に家に帰る.この当たり前のことが,とても大切なような気がしている今日この頃.
03.02.18(火)
今日はほんとうに久し振りに在宅訪問へ出かけることになった.大学での新しい仕事のペースにもようやく慣れ,ちょうどそこへ在宅ケアセンターのスタッフの方から支援を依頼された.しばらくぶりの在宅訪問に緊張した.利用者・家族・スタッフの方々とやりとりしているうちに,昔の自分を取り戻せた.自分の仕事の原点はやはりここにあると感じた.
03.02.01(土)
太陽の光に誘われて,愛知県常滑の海に車を走らせた.今住んでいるところから15分ほどで伊勢湾の海を見ることができる.昨年秋に訪れた時は,風も無く防波堤をのんびりと時間を忘れて散策した.でも,今日は明るい太陽が照っているものの寒風が吹き付けて早々に車に戻った.でも海を見ていると,故郷に帰ったような気がするのはなぜだろう(因みに,私が生まれたところは山に囲まれたところです). 元気が出てきた.
03.02.12(水)
絵を描くのが好きだという学生さんに頼んで絵を描いていただいた.簡単な線画を描いて,ちょっと説明しただけなのに,頭の中で描いていたとおりというか,それ以上の絵の出来えである.利用者を捉える3つの視点.とくに3つ目の視点が難しいと感じる.少しでも近付きたい.
http://homepage2.nifty.com/htakuro/point_of_view.html
03.02.03(月)
将来の進路に悩んでいた学生が,ようやく自分のやりたいことに出会えたと溢れんばかりの笑顔で研究室を訪ねてくれた.ほんとうによかったね.これからもいろいろと辛いことあるかも知れないけど,どんな時でも「良かった探しの精神」(ポリアンナ...)で
03.01.30(木)
今日は長野県上田市での会議.昨夜から降り続いた雪の影響で,新幹線がトラブル.名古屋から東京まわりで行く予定であったが,列車の大幅な遅れ.ふと思いついて,名古屋から中央線・長野まわりで行くことにする.しばらく列車が走り,もうそこは雪の中.車窓からの眺め.ゆっくりとした時間が流れていく.たまにはこんな旅もいいもんだと思う.忘れていた時間を想い出す.
03.01.29(水)
研究室の階に上がるためにエレベータを待つ.ふと,すれ違った二人の学生から「二年生の授業も楽しみにしています」と明るい声.とても嬉しい.励まされる.今の自分は彼らから大きな支えを受けている.この仕事に移る時,リハの現場から遠ざかることに一抹の寂しさを感じていた.でも最近は少し違う感じがする.彼女らや彼らの向こうに現場が見えるような気がする.なぜなら,4年後にはすでに彼らは現場で障害のある利用者に接しているのだから.利用者から教えられた様々なことを,可能な限り彼らに伝えていきたい.
03.01.24(金)
保健婦さんの集まりに呼ばれて,山口県にやって来た.新幹線の小郡(おごおり)駅からタクシーに乗り会場に向かう.行きも帰りもタクシーの運転手さんは話好き.山口は西の京都と呼ばれるとのこと(小京都とは違うとのこと).水がきれいで美味いこと.りんごやミカンがとれること.近くにいい温泉があるからぜひ入っていったらいい.この町を心から愛しておられるのだということがじんじんと伝わってくる.今日はこのまま帰ってしまうのがもったいない気がしてきた.もっとこの町を知りたいと思う.いつかゆっくりと時間をかけて再び訪れたい.そしてその足で瀬戸内の島々や町々を旅したい.タクシー運転歴,40年の宮川さん,ありがとうございました.
03.01.21(火)
生まれて初めての胃カメラの日.待合室.隣の検査室から検査を受ける男性の悲痛な呻き声.緊張感がぐーんと高まる.さていよいよ私の番.「喉を通るとき少しウッ!となりますが我慢して」...と言われる.喉をカメラの先端が通るとき,なんとなく先程の医師のことば「ウッ」が頭にこびりついていて,思いっきり「ウッ」となってしまった.ここで,何かにすがりつきたいような気持ちで思わず男性医師の手をつかみたくなる.「はいチカラを抜いて」の医師の呼びかけに合わせて体全体のチカラを抜く.するとバックに静かな音楽が流れていることに初めて気付く.少しだけ余裕が出てきて,上目遣いにみた私のインナースペース,ただただ感動.外から(実際はウチから)自分を観る.とても不思議な感じだ.「はい,おわりですよ.よくがまんされました」の医師のやさしい声かけ.目には涙と,口には涎の恥ずかしい有様.ジワジワと感動が押し寄せる.
02.12.12(日)
愛媛県松山市での講演を終える.飛行機の時間までしばらくあるため,念願の道後温泉本館でお風呂に入ることにする.神の湯二階席コースなるものを申し込む.最初に2階の座敷にあがる.ここは男女一緒.ここで浴衣に着替えるという.そして1階に降りて,浴衣を脱ぎ,神の湯に入る.のんびりと湯に浸かりながら,なんだか千と千尋の神隠しに出てくる油屋にいるようなそんな気分になってきた.お湯からあがって浴衣を着て,2階に戻り,お茶と坊ちゃん団子のサービスを受ける.2階の座敷で隣り合った青年は広島からしばしばこのお湯に一人でやってくるという.タイムスリップしたような不思議な時空間であった.
02.11.20(水)
今日は学生たちが主催のスポーツ大会.教員も招かれてキックベースという耳慣れないゲームに参加した.サッカーボールを足で蹴って,野球のように試合する.野球と違うところは2塁が無く,1塁の次に3塁がある.私より若い賢明な教員は応援団に回り,運動が生来苦手な私はユニホームに着替えて学生と一緒にグランドに立っていた.さて私の番.ビッチャーから投げられたボールを思いっきり蹴ったが,当たりが悪くショートゴロ.でもここはと,懸命に走る.走る.気持ちだけは前に.でも足が宙に浮いて.その後,スローモーションの映画のように,私の頭は地面に激突,そして横転.何が起きているのかわからない.最初に頭に浮かんだのが,学生の前で「カッコ悪い」...気が付くと頭は運動場の砂で真っ白,口の中も砂でいっぱい,腕と膝は痛みが走る.遠くで学生たちが心配そうに見つめる.立ち上がって,ほこりを払いながら,でも学生たちの心配してくれる声,声,声...に,カッコ悪さはどこかへ消えて,そこにいる自分がとても嬉しく感じた.